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おおた オリンピック・パラリンピックメモリー第3号(聖火トーチ)

更新日:2014年10月10日

1964年東京オリンピック聖火トーチにかける思い

画像:聖火リレーの様子
白煙をあげる聖火トーチ(南馬込・西村様提供)

1964年東京オリンピックの聖火ランナー物語、今回はランナーが掲げて走った「聖火トーチ」の逸話です。
1964年大会の聖火トーチは、日本工機株式会社(当時は昭和化成品株式会社)によって開発・製造されました。同社の営業本部・佐藤隆氏に当時のエピソードをインタビューしました。

「絶対に消えないトーチを作ってほしい。」

 東京オリンピック大会組織委員会から求められた注文です。白羽の矢が立った昭和化成品株式会社は防衛省に銃弾を納入するなど火薬を用いた製品を開発・製造していました。聖火リレーは雨が降る日も、風が吹く日もある。そんな悪天候の中でも聖火が消えないような創意工夫が聖火トーチの絶対条件とされたのです。開発のプロセスでは何度も失敗を繰り返し、試作品は、300本にのぼりました。そんな中、開発担当者は、救難信号筒にヒントを得てトーチ先端部の発炎成分を着想しました。さらに1,000本ものテストを行い、水の入ったバケツに入れても、土の中に埋めても消えない聖火トーチがようやく完成しました。また、聖火リレーの見栄えの重要性から、「煙が出ないとトーチではない。」と考え、開会式が行われる夕刻でも炎と白煙がくっきり見える製品に仕上げました。
 日本人の持つこだわりや開発力が東京オリンピックの聖火リレーを大成功に導きました。その後、同社の聖火トーチは、1972年札幌冬季オリンピック、1984年サラエボ冬季オリンピックにおいても正式採用され、オリンピックの演出に一役買っているそうです。
 当時の聖火トーチ設計、開発者である故・門馬佐太郎氏は、当時の新聞インタビューにおいてこうしめくくっています。「(聖火トーチの開発を機に)オリンピックを通じて火薬が、もっと平和な用途に伸びていくといいんですがねえ。」
2020年 東京オリンピック・パラリンピックの開催が、近代オリンピックの父・クーベルタン男爵が提唱した「平和でよりよい世界の実現に貢献」につながることを心より期待しています。
 
(次号予告)東京オリンピックを印象づける「オリンピック・ファンファーレ」作曲家、古関裕而氏についてご紹介いたします。

今年は、1964年東京オリンピック、東京パラリンピックから50周年の年です。

大田区では10月13日(月・祝)に「1964年東京オリンピック・パラリンピック50周年記念 スポーツ健康都市宣言記念事業 第31回大田区区民スポーツまつり」を行います。大田区総合体育館では、当時の写真パネル、聖火トーチを展示する予定です。皆様ぜひ足をお運びくださいませ。

情報をお寄せください

大田区では、2020年の大会開催まで、このホームページでオリンピック・パラリンピックの魅力を発信していきます。
今までオリンピック・パラリンピックに関わってきた方(選手、大会関係者、聖火ランナーetc)、当時の情報をお寄せください。ご了解いただける場合は、ホームページ上に掲載させていただきます。
下記問合せ先までお願いいたします。

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以下 奥付けです。
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