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パラリンピック 陸上(100メートル・走り幅跳び)全盲クラス 高田千明選手

更新日:2016年11月1日

パラリンピック 陸上(100メートル・走り幅跳び)全盲クラス 高田千明選手

日々の練習で日焼けした肌に明るいグレーのジャケットをまとって現れた、パラリンピック陸上(100メートル・走り幅跳び)全盲クラスの高田選手。リオデジャネイロへ出発する数日前に、大田区役所を訪問くださいました。
明るく力強い声と、はじけるような笑顔が魅力的な高田選手に、競技への思いや、ご家族の支えについてお話を伺いました。
 
 
高田選手の活躍は、おおた区報平成28年11月1日号でもご紹介しています。

外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。おおた区報平成28年11月1日号

リオ2016大会では

陸上(100メートル・走り幅跳び)全盲クラスとは

高田選手のウエアやサインの写真
高田選手のウエアやサイン。手前の青いひもが「絆」

100メートル走では、輪にしたひもを互いの指に絡めて伴走者と呼吸を合わせ、駆け抜けます。
このひもを「絆」と呼びます。長さはおよそ90センチメートル。練習の際はゆるく持ちますが、本番の際はほとんどゆとりがないほど短く持ちます。そうして腕の振りを合わせると、歩幅も合ってくるんです。競技を見ている人からは、「伴走者とこんなにシンクロするなんて」と驚かれることもあります。2人1組で走るので、トラックで1度に走れるのは4選手までです。
走り幅跳びでは、「コーラー」と呼ばれる支援者が、踏み切り板の近くから手拍子と声掛けで歩数を知らせてくれるのに合わせて跳躍します。歩数が合わずに砂場に入れないと着地の際に脚が地面に強く当たってしまうため、最初は恐怖との戦いでした。けれど、しっかりと踏み切って跳べたときは、体がフワッと浮いた感覚があってとても楽しいです。
どちらの競技も、支援者との信頼関係がとても大切です。

パラリンピックにかける思い

アジア大会、世界大会など、大きな大会はいくつもありますが、パラリンピックはまた別格です。私たち競技をする者にとって、オリンピック・パラリンピックは一番の頂点だと思います。
私が競技を本格的に始めたのは21歳の時でした。北京、ロンドンへは「A標準記録」という好記録を出しながら出場することができず、悔しい思いをしました。今回、競技を始めて3度目の挑戦で初めてパラリンピックに出場することができました。悩んだ時期もありましたが、ようやく努力が報われました。
去年の世界大会ではけがで悔しい思いをしました。でも、それまで大きなけがをしたことがなかったので、いい経験をしたと思っています。

パラリンピック競技後のインタビューから

100メートルでは、目標だった自己ベストと日本記録の更新をすることができ、とてもよく走れたなと思います。
走り幅跳びでは、日本とは違う歓声と雰囲気に少し飲まてしまったようで、途中から助走でまっすぐ走ることができず、かなり苦しみました。
大きな舞台ということで思うようにいかなかったこともたくさんあり、今後の課題もたくさん見えてきました。

家族とともに歩んできたこれまでと、東京2020大会への思い

小さいころから体を動かすことが大好き!

高田選手 表敬訪問
出発直前に大田区を表敬訪問くださいました。

羽田で生まれ育ちました。
生まれつき弱視で、小学6年生の時には視力が0.1ほどになりました。小さいころから体を動かすことが好きで、萩中小学校での6年間、徒競走が大好きでした。球技の時間は参加することが難しく、さびしい思いをしていましたが、徒競走ならスタートの位置に立たせてもらえれば、まっすぐ走って一番で駆け抜ければゴールがわかります。周りの友達を横目で確認しながらまっすぐ走りました。

体を動かしたくて、知人の勧めで始めた陸上競技

中学、高校とだんだん視力が下がり、20歳になる前には今と同じ、光と影と、という状態になりました。
高校を卒業して専門学校に入ると、体を動かす機会がなくなってしまいました。何か運動をしたい、と思っていたところ、専門学校の人に「全盲の人で、伴走者とひもでつないで走っている人がいるよ。都大会や国体へ行けば、伴走してくれる人がいるのでは?」と言われたことが、競技を始めたきっかけです。初めての大会は、2006年の兵庫国体。東京都代表で出ました。そこで夫やパラリンピックを目指している人と出会ったんです。

競い合い、支え合うアスリート夫婦

夫(裕士さん)と息子(諭樹くん)の3人家族。夫は、デフリンピック(聴覚障がい者のオリンピック)に出場する400mハードルのアスリートです。
(裕士さんに伴走してもらうことは?との質問に)夫に伴走してもらうことは練習でもないです。伴走者には、私の腕の振りやストライド(走るときの歩幅)に合わせてもらう必要があります。夫も現役アスリートなので、ストライドが合わず、お互いのフォームが崩れてしまうんです。
夫とは、いいライバル選手として競い合いながら、譲り合い、支え合っています。お互い、これまでにさまざまなメダルを獲ってきたのですが、「金メダルがない」と息子に言われて。どちらが先に獲るか、という感じですね(笑)。
私も夫も日々練習があり、息子にはさみしい思いをさせてしまっています。それでも、「けがだけはしないで、がんばってね」と言って支えてくれる、とてもいい子です。

みんなでつくる東京2020大会にできたら

障がいはマイナスではない

高田選手 写真
みんなでつくる大会にできたら、と語る高田選手

特に日本では障がいはマイナスととらえがちですが、障がい=マイナスということではないと思います。身長の高低と同じ。高いところのものを背が高い人が取る、というのと同じで、気づいた人が気づいたことをやるのは自然なことなのではないでしょうか。
私たち夫婦は、私は手話で、夫は声で会話します。例えると、「すこし離れたところにあるしょうゆを、自分の方が近いから取ってあげる」のと同じ感覚なんです。
 
「自分にはこれ(障がい)がある。だからよくない」ではなく、「自分にはこれがある。だからこそよいことがある」んです。たとえば私は鼻や耳がよくて、においの変化にすぐに気が付きますし、小さな声まで聞こえるので、「そんな話まで聞こえてたの?」などとよく驚かれるんです。
 
そういう「すごいこと」を周りが認めてあげてほしいですね。そして本人は、「自分はこれがあるからこそ、何ができるかな」と考えてもらえたらと思います。

みんなでつくる東京2020大会にできたら

今回リオデジャネイロで得た経験を活かし、東京2020大会を目指したいと思います。
特に日本では、オリンピック・パラリンピックは競技に出る人たちの大会と思われがちですが、みんなで作り上げるものだと思います。大会の開催には競技者だけでなく、通訳、ガイドなど、たくさんの人の助けが必要です。
どんなに小さなことでもいいから、それぞれが自分に何ができるか考えて、みんなで作る大会になったら素敵だと思います。

高田選手 表敬訪問の写真
大田区キャラクターはねぴょんと。「かわいい!」と高田選手にほめていただきました。

 
 
 
高田 千明(たかだ ちあき)
1984年生まれ、萩中小学校出身。
リオデジャネイロパラリンピック 陸上競技(100メートル・走り幅跳び)全盲クラス日本代表。走り幅跳びでは日本記録を更新して8位入賞(4m45cm)。100mは予選敗退ながら、日本記録を更新(13秒48)

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