地域情報紙「となりぐみ21」第116号を発行しました(令和4年1月1日)
ページ番号:689089241
更新日:2022年1月1日
116号は、以下の内容を掲載しています。
○大森西地区自治会連合会 会長 年頭のご挨拶
○今年の干支
○大森西特別出張所 移転のお知らせ
○地元で歴史散歩
○お年玉の由来
○わが家のお正月
○若き日の思い出
○正月山行 後立山連峰
○小さな釣り師たち
○編集後記
この中の一部を掲載します。すべてをお読みになるには、PDFファイルをダウンロードしてください。
お年玉の由来
お正月が来ると私たち大人は、子どもや孫たちの健康と成長を願いつつ、年次行事でお年玉を渡していますが、果たしてお年玉の由来と風習がいったい、いつ頃から始まったのか調べてみました。
本来お年玉はお餅だったそうです。歳神様に供えた餅を下し、家長から子どもや目下の者、奉公人に分け与えることで、その一年の健康と豊作にあやかれるとされたのが始まりです。
現代のように、餅ではなくお金を渡すようになったのは昭和三十年代後半とされています。団塊の世代が成長して、家族数が増えたことや、主要都市の世帯数も増えたことにより、それぞれの家庭で餅をついて歳神さまへ供えること自体が減少し、手軽に準備できるお金に変わっていったというのが主な背景のようです。
お正月にお年玉をもらう子供や孫たちの喜び溢れる顔を見ると、渡す方も幸せな気分になります。
今年こそは、皆さまにとってより良い年になりますようにお祈りいたします。
大森西二丁目三和会 安東 陽子
わが家のお正月
わが家はお正月には羽子板を飾ります。
娘二人はすでに成人し、社会人になりましたがお正月の雰囲気を出すために、毎年飾っています。
私は大田区大森生まれで、お正月に何かを飾る習慣はなく、お供えをするくらいでした。
妻の実家が埼玉県小川町(紙すきで有名な町)で生後、初正月に女の子は「羽子板」男の子は「破魔矢」を飾る習慣がありました。
羽子板、破魔矢飾りの由来風習については省きますが、「羽子板」は健やかに美しく育って欲しい、「破魔矢」は魔を射るとの字のごとく子供の無難の願いが込められていて、お正月に飾るのには一年間の「厄除け・魔除け」の願いがあるそうです。
大森堀之内自治会 落合 一美
地域情報紙「となりぐみ21」第116号(PDF:2,960KB)
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お問い合わせ
大田区大森西二丁目16番2号
電話:03-3764-6321
FAX :03-3764-6196