企画展・特別展

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更新日:2024年4月12日

開催中の展示

企画展 「静慮と奔走の三年間」

<会期> 令和6年3月15日(金曜日)~7月7日(日曜日)

<概要> 元治元(1864)年11月、神戸海軍操練所の運営にまい進していた勝海舟は軍艦奉行を罷免され、約1年7ヶ月の間、鳴りを潜めて再起の時を待ちました。慶応2(1866)年5月に復帰しますが、既に幕府の衰勢は明らかで、世の中には倒幕の機運が芽生えつつありました。「江戸無血開城」より前の3年間、内憂外患の前に苦闘する海舟は何を考え、行ったのか。新収蔵資料を交えながら特集します。

<ギャラリートーク> 本展の展示資料について、当館学芸員が解説します。記念館窓口、電話、FAX等でお申し込みください。
【日  時】
第1回:5月19日(日曜日)【満員につき受付終了】
第2回:6月22日(土曜日)【残席あり、受付中】
 各回 午後2時から(45分程度)
【募集人数】 各回10名程度(先着)
(注釈1)ギャラリートーク参加には入館料が必要です。
(注釈1)定員に達し次第、受付を終了します。

過去の展示

勝海舟生誕200年記念特別展4 エピローグ 「終着 安息の地 洗足池へ」

<会期> 令和5年12月1日(金曜日)~令和6年3月10日(日曜日)

<概要> 勝海舟生誕200年記念特別展の最後を締めくくる舞台は、現在、勝海舟記念館がある洗足池です。
海舟と洗足池との邂逅は、慶応4(1868)年4月上旬に遡ります。「江戸無血開城」を決定づけることとなる池上本門寺会談に向かう道中遭難し、辛くも命を拾った地が、この場所でした。それから20年余りを経た明治23(1890)年に洗足池を再訪した老海舟は、翌年に別荘を構えますが、その真意とは。また、共に安息の時を過ごした旧幕臣との関わりや、海舟没後に現在も残る墓石や水盤を作らせた親族たちの思いもあわせて、当時の資料から裏付けていきます。

勝海舟生誕200年記念特別展3 「家族と歩んだ明治 海舟書屋へのいざない」

<会期> 令和5年8月11日(金曜日・祝日)~11月26日(日曜日)

<概要> 幕末の奔流を乗り越えた勝一家は間もなく、明治新政府により駿河70万石を安堵され移封となった徳川宗家に従い、住み慣れた赤坂氷川を離れて駿府(現在の静岡市)の地へと移住します。この地に退隠し徳川家や旧幕臣の救済を志しますが、新政府に頼られ、明治5(1872)年には赤坂氷川に舞い戻るのでした。
本展では、以後30余年間に及ぶ海舟と一家の明治時代における様子を、今は無き赤坂氷川邸の実態を踏まえながら、資料を元に解き明かします。

勝海舟生誕200年記念特別展2 「家族と歩んだ幕末 留守を預かる家人たち」

<会期> 令和5年4月21日(金曜日)~8月6日(日曜日)

<概要> 身近な先達たちから「明鏡止水」の精神と胆力、蘭学の知識を学んだ海舟は、33歳にして幕閣に登用され、40代を迎えると海軍創設に身を投じ、中央政局との関係を深めます。これにより上方や西国への長期出張も増えましたが、そんな海舟を支えたのが留守宅を預かる家族や従者たちの存在でした。
本展では、これまで顧みられることが少なかった彼らの活躍や海舟との絆に初めて光を当てます。激動の時代に臨んだ人びとの素顔と共に、現代にも通じる普遍的な感情の交わりを資料から感じてください。

勝海舟生誕200年記念特別展1 プロローグ 「出帆 麟太郎と四人の先達たち」

<会期> 令和5年1月6日(金曜日)~4月16日(日曜日)

<概要> 令和5(2023)年3月12日、勝海舟生誕から200年を迎えます。勝海舟記念館ではこれを記念し、多くのご要望の声に応え、海舟77年の生涯を家族や身近な人々の視点から紐解く全4会期の記念特別展を開催いたします。
この幕開けである本展では、海舟誕生から幕臣として飛翔を遂げるまでの約30年間に焦点を当て、若き日の海舟に指針を与え、その人間形成に多大な影響を与えた4人の先達たち(父・勝小吉、剣の師・島田虎之助、兵学の師・佐久間象山、幕閣の先輩・大久保忠寛)との関係に注目します。

開館3周年記念特別展 「収蔵資料展 守り伝える海舟の“歴史遺産”」

<会期>
 【前期】2022年9月2日(金曜日)~10月30日(日曜日)
 【後期】2022年11月3日(木曜日・祝日)~12月25日(日曜日)

<概要> 勝海舟記念館は、令和4(2022)年9月7日で開館3周年を迎えます。多くの方々からのご寄附を活用し、海舟ゆかりの貴重な歴史資料を収集・保護してきました。それらは、開館以来の十数回に及ぶ常設展や企画(特別)展ごとに、異なるテーマで展覧してきました。
本展では、調査研究の進展により新たな事実が確認された資料を初公開し、また、破損や風化から保護し適切に将来へと伝えるために修復や複製制作を施した資料を、作業過程の様子と共に展覧します。当館の歴史資料保護に対するこれまでの活動や、これからの取り組みについて紹介します。

企画展 「異国見聞 -米国航海から得た想い-」

<会期> 令和4年7月1日(金曜日)~8月28日(日曜日)

<概要> 幕末、幕府と諸藩との一致による「日本の海軍」の創設を志した勝海舟。そこに至る過程で、彼が最も大きく影響を受けた出来事が、安政7(万延元、1860)年におけるアメリカ合衆国サンフランシスコへの初渡航です。異国の地で国際情勢を知り、現地の風土文化に直に触れ得た約100日間は、日本の長崎でオランダ人から受けた海軍伝習以上の刺激を海舟にもたらし、蘭学を志した青年時代以来抱いていた「世界の実情を見たい」との宿願を叶えたのです。
本展では、この間の海舟の熱意がうかがわれる書状・絵画・写真の数々を展覧します。

企画展 「瓦解前夜 -有志たちが伝える海舟-」

<会期> 令和4年3月18日(金曜日)~6月26日(日曜日)

<概要> 元治元(1864)年7月18日夕刻、神戸海軍操練所から赤黒く染まる京都方面の空を見上げた軍艦奉行・勝海舟は、即座に異変を予見しました。まさにこの時、京都では国家の行く末をめぐり対立を深めた日本人同士が、ついに禁裏(京都御所)近くで砲火を交える「禁門の変」が生じていたのです。
この4年前、幕府軍艦・咸臨丸で初めて渡ったアメリカの地で、競合関係にある西欧諸国が沿岸調査事業を通じ協調する様子を目の当たりにした海舟。以来「一大共有の海局」構想を立ち上げて幕府・諸藩の融和を模索してきた彼にとって、まさに最悪の事態でした。国家の危機に臨み、幕府・諸藩の有志たちが交錯する中、海舟は彼らとどのように向き合い、活路を見出そうとしたのでしょうか。
本展では、収蔵資料や『海舟日記』の記述等から、第一次長州戦争に向かおうとする情勢下における海舟の思いや活動を紐解きます。

企画展 「清明文庫 ~時をこえ受け継ぐもの~」

<会期> 令和3年12月17日(金曜日)~令和4年3月13日(日曜日)

<概要> 勝海舟記念館は平成12(2000)年に国登録有形文化財に指定された旧「清明文庫」を活用しています。この建物は昭和3(1928)年、財団法人清明会によって洗足池畔の勝伯爵家私有地に建てられました。同会の活動は短期間で終結を迎えましたが、この間に、勝海舟の墓所や別荘「洗足軒」のほか関連史蹟の保存、幕末・明治維新期に関する書籍の収集公開、さらに各種講義の実施などといった多くの事業を展開していました。
本展では、その一環で行われた史料の保管及び展覧会に関する事業にスポットを当て、当時清明文庫で陳列されていた資料を展覧します。90年の時を超えて勝海舟記念館へと受け継がれているものを紹介します。

開館2周年記念特別展 「交差する主従 慶喜×海舟」

<会期> 令和3年9月17日(金曜日)~12月12日(日曜日)

<概要> 江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜と、幕臣・勝海舟。各々に激動の幕末を生き、最後は共に江戸時代約260年の歴史の幕を引いた主従の境遇は、明治維新と共に反転します。政権返上を断行しながらも京都新政府に危険視され、維新後は静岡での長い隠棲生活を送った慶喜。一方、その才覚と功績から政府に国事を委嘱され、政治の第一線を退いてもなお伯爵として遇された海舟。この対照的な後半生は、老境に及んで再び交わり、慶喜の東京帰還と明治31(1898)年3月における天皇謁見が実現するのです。ここに至るまでの約30年間、両者は互いについて何を思慮し、生きたのでしょうか。
本展では、当館に伝来した幕末~明治期の海舟関係資料から、慶喜と海舟の“交差”する心情と葛藤の模様を紐解き、明治時代史の裏側でかつての主従の間に続いていた “もう一つの幕末”の物語を浮き彫りにします。

企画展 「所用品から見る海舟の姿」

<会期> 令和3年7月2日(金曜日)~9月12日(日曜日)

<概要> 勝海舟といえば、主に幕末における海軍創設や江戸無血開城といった、公的な出来事の中での活躍がよく知られています。しかし、海舟にも私人として、趣味に興じるプライベートな時間がありました。特に、政局から距離を置きつつあった明治10年代以降は、元来嗜んでいた書作を活かした揮毫執筆のほか、陶芸家との交流及び作陶への染筆といった、多忙な幕末期には見られなかった趣味を盛んに行った形跡が見られるようになっていきました。
本展では、こうした海舟の公私にわたる営みの形跡と変遷をうかがえる当館所蔵の所用品を一堂に展覧します。実際に海舟が日々の生活で使ったり、造ったりした”もの”は、往時の活き活きとした姿や趣味嗜好、性格に至るまで、言外に物語ることでしょう。

企画展 「小吉-“勝海舟”を育んだ父-」

<会期> 令和3年3月19日(金曜日)~6月27日(日曜日)

<概要> 江戸に生まれ、江戸に育った幕臣・勝海舟。その実直な人柄は幕府内に限らず、多くの人々を魅了しました。海舟が影響を受けた人物の数は計り知れませんが、その人格形成に深く関わった点で、海舟の父である勝小吉(法名夢酔、1802-1850)の存在は見逃せません。
豪快で気風の良い小吉の人柄と生涯は、彼自身が子孫への戒めを込めて記した自伝『夢酔独言』などから知られてきました。しかし、それ以外の一次資料はほとんど確認されてこず、多くの部分が謎に包まれてきたのです。そんな中、当館収蔵資料の中から小吉に関する当時の資料が複数確認され、 中には『夢酔独言』の記述を裏付けるものや、従来知られてこなかった晩年の小吉の様子を伝えるものも含まれていました。
本展では、少年・勝麟太郎こと後の海舟が傍らで見続けた父・小吉の知られざる実像を、当時の資料から明らかにします。

企画展 「慕われた海舟翁-水盤と古文書から見えるもの-」

<会期> 令和2年12月11日(金曜日)~令和3年3月14日(日曜日)

<概要> 勝海舟記念館の北側に、勝海舟夫妻の墓所があります。このうち海舟の墓石や、参道脇に現存している水盤(墓前法要の際の手水鉢)は、海舟が亡くなった当時からあったものです。なお水盤は、海舟を慕った知友たちの寄附金によって作られました。水盤の裏側には、寄附者の名前が刻まれており、今も榎本武揚や井上円了、津田仙(津田梅子の父)といった偉人たちの名前が確認できます。
本展では海舟墓所の造営や、水盤裏に名が刻まれた人々にまつわる資料等から、海舟の生前における人脈の豊かさと関係性を明らかにします。

開館1周年記念特別展 「海舟が見た、感じた!サンフランシスコ-咸臨丸出帆160年-」

<会期> 令和2年9月4日(金曜日)~12月6日(日曜日)

<概要> 江戸幕府が日米修好通商条約の批准使節をアメリカ合衆国に派遣するに当たり、先んじて出航した幕府軍艦「咸臨丸」。その船将(艦長)を務めたのが勝海舟でした。海舟ら咸臨丸一行は、1860年3月17日(安政7年2月25日)、アメリカ合衆国西海岸有数の都市であるサンフランシスコに入港します。これは日本の軍艦が公式に太平洋を渡航した初の事例でした。
勝海舟記念館開館1周年を迎える今年は、咸臨丸渡米から160周年の節目にも当たります。本展では海舟が携帯した航海日記である「掌記二」ほか当館収蔵の海舟関係資料の内容を紐解き、海舟らが目にした当時のサンフランシスコ・メーア島の情景や、滞在中の出来事を詳しく紹介します。異国での体験によって航海中の鬱屈を克服し、視野を広げ、国際社会への理解を深めた海舟の姿を、資料から感じることができます

企画展 「勝海舟と幕末・明治を駆け抜けた盟友たち」

<会期> 令和2年6月2日(火曜日)~8月30日(日曜日)

<概要> 勝海舟の業績は、本人の研鑽と才覚はもちろんですが、その周囲を取り巻いた多くの人物との関わりと、その影響によるところも大きいです。本展では当館収蔵資料の中から、松平春嶽や岩倉具視、アーネスト・サトウや徳川家達といった名だたる幕末・明治の名士にまつわる文書を紐解き、”第三者の視点が捉えた”海舟の姿と活動に迫ります。
特に、若き海舟の親友として切磋琢磨しながらも、文久2(1862)年11月に惜しまれながら早逝した旗本・岡田新五太郎の手紙は必見。長崎で海軍修業に奮闘する海舟を激励し、また海舟から世話を頼まれた勝一家の無事や、江戸の様子を伝えているのですが、中には現・大田区大森にかつて存在した「大森町打場」の当時の様子も詳記されています。是非ご注目ください。

企画展 「海舟が見た19世紀の日本と国際社会」

<会期> 令和2年1月16日(木曜日)~4月26日(日曜日)

<概要> 勝海舟が生きた19世紀は、西欧列強(イギリス・オランダ・フランス・ロシア・アメリカ)の動向を中心に、国際社会が大きく変動し、東アジアにも列強の進出が進みました。鎖国政策下にあった日本も各国の外圧に大きく揺れ動き、”内憂外患”の中苦しい対応を迫られた幕府は、次第に瓦解への途を辿ることとなります。こうした時代を幕臣として生き、ついには江戸無血開城における立役者の一人となった海舟。その眼には、一体何が映ったのでしょうか。
本展では、後に海舟が無血開城に舵を切る根本要因ともなった、19世紀の東アジア情勢の一幕を、海舟ゆかりの資料から紹介します。

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お問い合わせ

勝海舟記念館
電話:03-6425-7608
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