第62号(令和5年8月23日発行)

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更新日:2023年8月22日

「かまた東62号」の概要は次の通りです。

  • 在宅避難に役立つ 知恵
  • 19の顔と声
  • リーダー19 会長大いに語る 第十回
  • 鬼足袋(オニタビ)通り由来
  • 編集委員紹介
  • 編集室便り ~バトンタッチ~

以下に、一部を掲載します。完全版をお読みになりたい方は、ぜひPDFファイルをダウンロードください。

19の顔と声

写真:新しくなった京浜蒲田公園の様子新しくなった京浜蒲田公園

京浜蒲田公園リニューアル

京浜蒲田町会
宇江明美
 五十年以上前、私が子供の頃の京浜蒲田公園はブランコや滑り台のある子供が遊ぶ公園でした。夏休みには町会による手作りの花火大会、打ち上げ花火やフィナーレのナイアガラの滝は圧巻でした!毎日遊んだ事、町会の催し等楽しい思い出として残っています。ところが、私の息子の頃には改築のため主な遊具が撤去され、ハトぽっぽ公園、タバコ公園と呼ばれ子供には近寄り難い公園になりました。
 三年ほど前から区による改良工事計画が始まり、公園に思い出のある私も町会代表として参加しました。今年四月一日、再び子供が集まる公園として生まれ変わりました。オープンの催しには開始前から親子連れの長蛇の列で大盛況でした。
 子供たちの遊び声が飛び交い、子供たちが成長してからも思い出が残る公園であり続けてほしいです。

鬼足袋(オニタビ)通り由来

画像:鬼足袋の引き札(チラシ)鬼足袋の引き札

地域情報紙 編集委員
佐藤 慎一郎

 「鬼足袋通り」この通り名をご存知の方は私を含め、ある程度お歳を召された方ばかりではないでしょうか。
 「鬼足袋通り」は、蒲田駅東口から環七の沢田交差点を抜け大森東口方面へと至る路線です。今では「東邦医大通り」と呼ばれているバス路線の事です。
 東邦医大は現在、東邦大学大森病院と呼ばれますが、大正末期の設立時は、帝国女子医専(医学専門学校)と呼ばれていました。私が子供の頃には「バス通り」の通称でしたが、タクシー等の利用時には、「鬼足袋通りを真っつぐ」とか「鬼足袋通りの処々へ」と伝えていました。「東邦医大の通りの‥‥」では長ったらしいので三十年程前までは「鬼足袋通り」で通じたものです。
 さて、では何故「鬼足袋通り」と言われるようになったのでしょうか?それはこの通り沿いに寺田淳平商店の「鬼足袋」の製造工場が有ったからです。明治三十年代に静岡から起業しコール天生地の足袋を製造販売を行い、西の福助足袋、東の鬼足袋と呼ばれる程に一世を風靡し、今の大森八中にあたる場所へ大正九年に大規模な足袋工場を設立しました。
 国内のトップメーカーとして活躍していましたが、昭和二十年の空襲を機に消滅してしまいました。この「鬼足袋」の名が近年まで通りの名称として残ったのですが、その名も今まさに消えてしまおうとしています。
 写真は、寺田淳平商店が岩手県の特約店に販売委託した際に配布した「鬼足袋」の百年以上前の引き札(チラシ)です。
 尚、平成二十四年NHK朝の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」の主人公が通った学校が帝国女子医専(医学専門学校)でした。
 本文作成にあたり『オニタビ通りを行く』著者・廣瀬達志様には参考及び引用のご承諾を戴き有難く厚く御礼申し上げます。

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