おおた区報WEB版 令和元年9月21日号〔トップページ・特集〕

更新日:2019年9月21日

特集

郷土博物館令和元年度 特別展
嶺(みね)の御嶽山(おんたけさん)と一山行者(いっさんぎょうじゃ)
ー大田区にある御嶽山の由来とこの地の歴史に迫るー

 古くは嶺村と呼ばれた現在の嶺町地区。かつて一山という名の行者がこの地に辿(たど)りつき、“御嶽神社(おんたけじんじゃ)”の社殿をつくりました。嶺町地区で見かける“御嶽山”という名は、これらの出来事に由来します。
 今回の特別展は、この「嶺の御嶽山(現在の御嶽神社)」がテーマです。現代に残る貴重な資料からその歴史と文化をひもときます。

ストーリー[1]

 天文4(1535)年に御嶽神社のもととなる小社(小さな神社)が建てられたといわれています。天保2(1831)年には木曽御嶽山※の関東第一分社ともいわれる現在の社殿が造られたと伝わっています。
※長野県と岐阜県にまたがる霊山。山岳信仰で有名

大絵馬「御嶽神社境内図」(御嶽神社所蔵)明治9(1876)年

 当時の御嶽神社の境内図で、神社の境内が整備された頃の様子を画中にとどめている。

ストーリー[2]

 一山行者は神奈川の津久井村出身で俗名を治兵衛(じへえ)といい、後に埼玉の与野町で名主を務めた井原平八の養子になりました。平八が御嶽信仰の支持者であったことから、一山行者は御嶽信仰に触れることになります。井原家を離れた後は諸国を行脚し、木曽御嶽山で修行に励みました。

掛軸 「一山行者像」(部分)(c)The Trustees of the British Museum

 明治6(1873)年~13(1880)年に日本に滞在した医師のウィリアム・アンダーソンが収集した掛軸で、現在は大英博物館に所蔵されている。画中の一山行者は僧形で、高位の僧侶が着用した緋ひ の衣を身にまとっている。

ストーリー[3]

 ある日、一山行者が木曽御嶽山で水行に打ち込んでいるとお告げを受けました。江戸での布教を促された一山行者は、現在の北嶺町を訪れて、小社を発見し、この地に社殿を築いて御嶽信仰を広めました。

大絵馬「一山行者水行の図」(御嶽神社所蔵)明治8(1875)年 馬場新造祐渕(鏝絵の名人・入江長八の門人)

 一山行者が木曽御嶽山の滝で水行をしている様子を描いたもの。右部に不動尊と滝、中央下部に一山行者、左上部に御嶽三座神(右から八海山大神、御嶽大神、三笠山大神)を描く。

郷土博物館学芸員 乾 賢太郎 今回の特別展では大英博物館に所蔵されている一山行者の掛軸の複製や、御嶽神社に保管してある数多くの大絵馬を特別に公開します。関東全域から多くの人が訪れた御嶽神社。その歴史をとおして大田区の知られざる一面を紹介します。普段何げなく過ごしている私たちのまちにはたくさんの魅力が隠されています。郷土博物館では地域の歴史や文化に触れ、大田区の魅力を再発見できます。ぜひご来館ください。

郷土博物館学芸員 乾 賢太郎

《PICK UP》
今もおおたに残る!御嶽山のものがたり

御嶽神社(北嶺町37-20)
東急池上線 御嶽山駅下車すぐ 一山行者により現在の社殿がつくられた御嶽神社。明治時代以降も支持者が増え、この地には関東一円から多くの人が参拝に訪れたそうです。その名残として大田区には御嶽山までの「道標」や「講碑(こうひ)」などが多く残っています。御嶽神社の近くにある「御嶽霊水」と呼ばれる湧き水は、当時この地にあった茶店「田ノ原屋」の主人が参拝者のために築いた井戸で、今も水が湧き出ています。

郷土博物館令和元年度 特別展 嶺の御嶽山と一山行者【観覧無料】

詳細はコチラ日時=10月5日(土)~12月1日(日)午前9時~午後5時(月曜休館)

◎詳細はコチラ
https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/index.html

◎特別展に関連した講演や地域探訪も行います。詳しくは4面へ⇒「嶺の御嶽山と一山行者」関連イベント

問合先

郷土博物館 TEL03-3777-1070 FAX03-3777-1283

お問い合わせ

 広聴広報課 
 電話:03-5744-1132 
 FAX :03-5744-1503
 メールによるお問い合わせ