「学芸員イチオシの一品!」第5弾のご案内

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更新日:2020年6月25日

「学芸員イチオシの一品!」第5弾

 まだまだ続きます!第5弾の公開です!
 大田区立郷土博物館には、開館以来収集してきた多くの資料が保管・展示されています。
 ここでは、考古・歴史・民俗という各分野の学芸員がオススメする資料を取り上げて、資料が持つ魅力や見どころについて紹介します。

[注意]資料の画像の二次利用や無断転載は固く禁じます。資料や画像のことにつきましては、大田区立郷土博物館までお問い合わせください。

【考古】都立田園調布高等学校内遺跡 1号方形周溝墓出土玉類(弥生時代後期中葉(2世紀))

テキスト 玉類(上段:小玉、算盤玉 下段:管玉)(右下長14mm) 
玉類(上段:小玉、算盤玉 下段:管玉)(右下長14mm)

テキスト 石製管玉(左からカオリン、碧玉、鉄石英)(直径約3mm)
石製管玉(左からカオリン、碧玉、鉄石英)(直径約3mm)

 1号方形周溝墓(南北約16m、東西約19m)の埋葬施設から出土しました。
 紺色のガラス小玉はカリガラスで、中空のガラス管を引き伸ばして作られています。日本列島では、弥生時代後期以降にガラス小玉の数が増えますが、その多くは海外から運ばれたものです。
 石製玉類は国内産で、碧玉製・鉄石英製管玉は、北陸東部で作られたものです。小さな硬い石の玉に径約1.5mmの孔をあける技術は工人の成せる技で、この時期には石針から鉄錐へ穿孔具が変化します(中央の算盤玉1点を除き、鉄錐穿孔)。
 このような遠隔地で作られた貴重な玉類を所有できたのは、墓の規模が大きいことを含め、地域の首長級の人物と考えられます。
[考古担当:斎藤あや]

【歴史】小泉次大夫巡検之図(明治17(1884)年)

テキスト 小泉次大夫巡検之図
小泉次大夫巡検之図

テキスト 小泉次大夫と関係各村の名主たち
小泉次大夫と関係各村の名主たち

 関東に入国した徳川家康は、江戸を拠点とする領国経営安定化のため、新田開発や灌漑治水事業に取り組んでいきます。多摩川流域の六郷・二ヶ領両用水(一括して四ヶ領用水とも)開削は比較的初期の開削例で、慶長2(1597)年に開始されました。この工事の指揮をとったのが小泉次大夫です。
 本資料は工事を巡検する次大夫を描いたもので、関係各村の名主たちに囲まれた馬上の人物が次大夫です。この他、資料上部には平川平五郎による「四ヶ領用水堀割之由来略文」が記され、丸子の渡しの情景として下部に渡し船も描き込まれています。
 用水の開削によって水田への水の安定的供給が可能となり、灌漑面積の飛躍的増加につながりました。
[歴史担当:築地貴久]

【民俗】農具図 荏原郡(明治時代)

テキスト 矢口一丁目の田植え風景(昭和初期頃)
矢口一丁目の田植え風景(昭和初期頃)

 本資料は明治時代に作成された東京府下六郡農具図のうちの一つで、大田区が当時属していた荏原郡の農具調査報告書です。農具を図で示すとともに、農具名・用途・代価・寸法などが詳細に記録されています。
 農具図右下の舟は、田で使用された田舟(または苗代舟)と呼ばれる木製の舟です。代掻きの際に使われましたが、台地部のヤト(谷戸)の湿田では稲刈りの際に田の水を抜くことができないため、刈り取った稲を濡らさないよう田舟を使って運ぶこともありました。
 六郷用水を利用した大田区の農業は、昭和初期頃までは主産業として田舟を使う光景も見られましたが、その後市街地化により田畑は姿を消し、六郷用水は生活排水の用水路となりました。
[民俗担当:小室綾]

お問い合わせ

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