馬込文士村
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更新日:2023年5月7日
馬込文士村のはじまり
大正末から昭和戦前期にかけて、馬込・山王・新井宿の一帯に文士や画家が多く移り住みました。これをのちに「馬込文士村」と呼ぶようになります。文士村は、馬込の他にも田端・落合・阿佐ヶ谷などにあり、それぞれの土地に主体的に集まって創作活動を行っていました。
文士や画家が馬込・山王・新井宿に居住した理由としては、大正初期、大森に開業した望翠楼ホテルにて画家たちによる展覧会「木原会」が開催され、これを引き継ぐ形で「大森丘の会」が発足し文士や画家たちの交流があったこと、馬込九十九谷と呼ばれるほど起伏に富み、創作活動の環境に適した土地柄であったことなどが挙げられます。徐々に宅地開発が進むなかにあっても、画家たちは馬込に居を求め、まだ農村風景の広がるこの地を好んで描きました。また、作家の尾﨑士郎が大正12(1923)年に宇野千代と新婚生活を送るために馬込村中井に居を構え、多くの文士仲間を呼び寄せたということも文士村形成の一つの要因といわれています。
こうして、小説家の他にも、詩人・評論家・翻訳家・編集者・画家などが集まり、ひとつのコミュニティを築いていきました。文士たちは創作活動に取り組む一方で、ダンスやマージャンに興じながら、仲間たちと賑やかで笑いに充ちた時間を過ごしたのです。
白瀧幾之助「馬込・山王風景」 明治末期から大正初期頃
若き日の尾﨑士郎
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