医療的ケア児を育てる先輩からのメッセージ

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更新日:2026年2月27日

新米ママ・パパへのメッセージ

お子さんに医療的ケアが必要だとわかったとき、戸惑いや不安を感じることもあるかもしれません。大田区には、同じ道を歩んできた先輩たちがたくさんいます。かつて同じように悩み、ときには地域の支援や周囲とのつながりを頼りながら、自分たちのペースで歩んできた先輩たちからの温かい「エール」を集めました。
日々のケアの合間に本ページをご覧いただくことで、生活のヒントや安心感を得る一助となれば幸いです。

一人で抱え込まず、地域の専門家とともに育てる環境を

ご退院おめでとうございます。
医療的ケアはもちろん、これからどのように育っていくのか不安でいっぱいだと思います。きっと医療的ケアのあるお子様を育てた知識のある方は、ほとんどいらっしゃらないでしょう。
そんな時は一人で思い悩まずに、是非たくさんの専門家に頼ってください。きっと一緒に解決策を考えてくださいます。様々な知識を持つ多くの方々に一緒に育ててもらえば良いのです。
そんな環境が大田区には揃っています。

一般向けサービスの利用と事前の情報確認

医療的ケア児を対象としたサービスに関しては、病院のソーシャルワーカーさんや訪問看護師さんから教えてもらうことができたため、適切に利用することができました。
一方で、一般向けのサービスについては、医療的ケア児ということでお断りされてしまうもの、一部制限付きではあるが利用できるもの、予想外にウェルカムなものがあったりと行ってみたり問い合わせてみなければわからないことが多かったです。
これらが事前にわかっていると生活を組み立てるうえで、とても役に立つと思います。

気管切開の決断から退院後の生活管理について

気管切開を提案された時は退院後のケアの大変さを想像して消極的でした。しかし、気管切開をすることによって新たにできることも増えていくこと、スピーチバルブを使えば声も出せることを知ったことで期待を持って決断できました。
また、ケアの大変さに関しても退院するまでに夫婦共に自信を持って対処できるまで病院でトレーニングして頂いたおかげで、夫婦で交代でケアすることができました。
そして、精神安定と体調管理のために、どんなに大変でも必ず睡眠時間を確保することを心がけています。そのために、訪問看護師さんや祖父母などケアできる方をできるだけ多く確保しておくと日常生活が格段に楽になると思います。

1型糖尿病の発症から学校生活再開に向けたプロセス

娘は小学校1年生の時に1型糖尿病を発症しました。寝る前に水をがぶ飲みし、夜中に何度もトイレへ行く多飲多尿、さらに体重減少が続いていたため「おかしいな」と感じていました。ある朝「学校に行けない」と泣いたことをきっかけに受診すると、すぐ大学病院を紹介され、そのまま入院となりました。
入院後はインスリン開始に向けて量の調整や手技の指導が始まり、血糖測定や注射の練習を親子で受けました。小さな手で針を刺し血を出す娘の姿に胸が痛みましたが、本人は「自分でできたよ」と笑顔を見せ、幼さゆえ深く落ち込むこともなく、その明るさに私も救われました。インスリン注射の手技にも少しずつ慣れ、親としても退院後の生活に備えることができました。
入院中には地域健康課に相談し、特別児童扶養手当小児慢性特定疾病制度ヘルプマーク・カードについて説明を受けました。学校との面談では、事前に医師と相談して要望(スマホの使用、補食、インスリン注射の場所など)を整理して伝えると良いと助言され、国立国際医療センターの情報も確認しました。その後、担任と連絡を取り、入院中に面談を行いました。
退院日には、校長、副校長、養護教諭、担任、学務課教育総務課、そして私たち家族で面談を行いました。そこで、低血糖を自分で対処できない場合は区から看護師派遣が必要であり、配置まで最短1か月かかるため、それまでは親の付き添いが必要と告げられました。来週から通学できると思っていた私たちには大きな衝撃で、もっと早く知りたかったと感じました。学校に看護師の配置が必要であるとわかったら、すぐに主治医からの意見書と指示書を書いてもらうと良いと思います。
当時は医療的ケア児に対する支援ガイドブックもなく、区の内部でも支援情報が部署間で十分に共有されていませんでした。そのため相談先を探したり、利用できるサービスを見つけるのに大変苦労しました。今後は改善されることを強く望みます。

「一人で抱え込まない」ことの大切さ

娘は生まれたその日に重度の障害が分かりました。現在は人口呼吸器、吸引、胃ろうからの経管栄養に導尿と医療ケアがフル装備で、今は通所施設に通っています。
子育ては初めて、しかも原因も病名も分からない重度障害児。NICUを退院してしばらくは医療ケアはありませんでしたが、泣いてばかりで一日中抱っこ。あまり眠れませんでした。
退院した翌日、「あの自販機までも行けない」と、近くにある自販機を見ながら絶望的な気持ちになったのを覚えています。夫は仕事で多忙、誰とも話せず、泣きやまない娘を抱っこして夜通し部屋を歩き回る、孤独な日々でした。
生後5か月頃、哺乳力低下によるマーゲンチューブの使用、そして無呼吸による気管切開が必要に。原因も分からず体にメスを入れることに納得がいかず、心無い医師の言葉に怒りを覚えました。気管切開後は吸引の嵐。「泣く→吸引→抱っこ→泣く」のループで心身ともに疲弊し、入院中はホッとし、退院が怖くなるほど追い詰められていました。当時の私は娘を「可愛い」と思えず、イライラして怒鳴ってしまう自分に苦しみました。
そんな私を救ってくれたのは、小児科で出会った先輩ママたちです。
体験談を聞き、不安や愚痴を話すことで、私の気持ちは少しずつ楽になりました。先輩ママからの「泣いてイライラしても、たった5分でいいから一人でベランダに出てみて」という助言で、気持ちを切り替えることができるようになりました。
また、先輩の「この子たちは自分で言えないんだから、親が言ってあげないと」という一言は、不安や戸惑いの塊だった私にとって、親としての姿勢を教えてくれる大切な言葉となりました。
可愛さが溢れるようになったのは、小3の後半、娘が24時間呼吸器となり体調が安定し、眠れるようになったことが大きいです。私も睡眠時間が確保でき、イライラが減りました。さらに、支援学校で娘と離れる時間が増え、気持ちに時間にも余裕ができた頃から、愛しさが増していきました。
今は迷惑そうな娘に「可愛い!」を連発し、親ばかぶりを発揮する毎日です。
あの辛い時期を経て、今も支え合ってくれるママ友との繋がりは宝物です。

家族の日常を守るための制度活用

病気!一生歩けない!難病!と、まだ妊娠5ヶ月の時に医師から宣告された言葉です。
お腹の子供がそんな状態だとは夢にも思わず、目の前が真っ暗になりただただ涙が止まりませんでした。産まれて来てからは、心配、不安、悲しみも大きな波のごとく怒涛のように押し寄せてきましたが、我が子を見た瞬間、何ものにも変えがたい可愛さや喜びが満ち溢れていきました。
上の娘と同様にかけがえのない子です。
退院後の生活は不安でしたが、訪問看護の方が来てくださり、入浴の介助や医療ケアの相談にものっていただいたりしました。
また上の子の行事の時にはレスパイト制度を使って、看護師さんやヘルパーさんがお家でお世話をしてもらったりしたおかげで、私たち家族は心強く、日常をおくれています。
医療ケア児を育てていくのは、なかなか気を抜けない毎日ですが、国や市町村の制度、病院、訪問看護の方々の力をお借りしながら、日々の子供の幸せを守っていきたいです。

相談から広がる支援の輪

息子は、呼吸を意識しないと弱くなってしまう先天性の病気です。気管切開をしており夜間呼吸器を使用しています。
見た目は健常児と変わらず、区立の中学校に通っています。 一生治らない病気と知って、学校や就職、私達親の死後など、どうしたらいいんだろうと、産後直ぐなのに、ずっーと先の事まで考えて波のように不安が押し寄せてきたのを思い出します。
情報収集しないといけないと分かっていても、気持ちが前を向かない。 なので病院の医師、看護師さん、退院時にはソーシャルワーカーさんなど、『今現在近くにいて、今すぐに相談できそうな人』に泣きながらも話を聞いてもらい、色々教えてもらいました。
そこから広がって療育医療センターや、そこで出会ったママ、訪問看護の方々など、沢山の方の支えがあって一歩一歩進んで来られたんだと思います。
悩みは尽きませんが、一緒に頑張って行きましょう。

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